書き順(筆順)

ペンネーム ひろ

お稽古をしていると妙な書き順をしている子がいます。

本人曰く、「これが一番書きやすい。」
のだそうです。

毛筆の手本はその場で一人一人に書くので「あれっ、そういう書き方をするんだ。初めて知った。」と驚く子もいます。

また、親御さんから、書き順がひどいので見て頂ければ、というお願いも。

私の子どもの頃は国語のテストに書き順の問題が出題されていましたが、今は出題されないそうです。

英語、パソコンなど、教える事柄が増えたからでしょうか、学校の先生もそれほど書き順を指摘しないと、子ども達は言います。

今勉強している桑原翠邦先生の巻頭言集に『筆順について』という項目がありますので、抜粋させて頂きたいと思います。

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殷文や周文に筆順があったかどうかということは、にわかに知りがたいが、それが秦篆になり、隷書になり、又行草などにまで発展するに至ったことを考えれば、単に出来上がった形の繁簡というだけでなしに、書くときの手順の、よしあしということが、字形の変化に大きな関係をもっているだろうことも想察に難くない。……(中略)

篆隷、楷書はとも角として、行草に至っては、その筆順をはなれては、字形そのものが成り立たないのである。……(中略)

アルファー形式のものが書の一部であることについては、我々とても異存はない。ただ従来の書道が、厳密にこれと区別されなければならない点は、その文字性、その文学性と共に、その筆順の約束の存在ということにあると思う。……(中略)

筆順の存在は、書においては、その芸術表現を妨げるものでなく、寧ろこれを、助けるものであると思う。

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文字は篆書から始まり、現代楷書の活字体に至るまでのとてつもない長い歴史の過程の中で形や書き順が決定されてきたことを鑑みると、やはりそこには遵守しなくてはいけない意味があると思います。

書道では、筆順がなければ行草作品の気脈も通らなくなり、どこかぎこちない書となってしまうでしょう。

翠邦先生は“純粋なる運びの筆順”と述べていらっしゃいますが、必然である筆順は書にとって、基本的な根幹をなす大切なものだと改めて思います。