書道に二刀流はありか

佐藤容齋

この夏、東京オリンピックでアスリートたちの活躍に連日大きな感動をいただきました。これとは別に昨年からのコロナ禍の中、今年の大谷翔平選手のMLBでの活躍は沈みがちな日本の人たちを大いに勇気づけてくれています。

大谷選手が世界中で注目されているのは、打者としても投手としてもMLBの中でもずば抜けていることです。いわゆる二刀流(但し超一流の)であります。やろうと思えば大谷選手以外でもある程度の二刀流を出来る人は世界中にいくらでもいるでしょう。しかし、ぎりぎりの高くて厳しいレベルでしのぎを削るプロの世界では、このような発想は、これまでほとんどなく大谷選手のように投手と打者で活躍できた人はベーブルースまで遡るということであります。

スポーツの世界の良さは、勝ち負けが誰の目にも数字としてはっきり見えることです。投げて打って走ってという高校野球か漫画でしかありえなかったようなことをしながらも、世界中の人たちがその活躍に魅了され感動を共有し合えています。

それに対して書道の世界はどうでしょうか。作品の水準の高低というのは当然ありうるはずですが、スポーツと比べるとかなり客観的な評価をしにくい面があります。それは見る人のそれぞれの主観や評価をする組織の内情などの側面が強く影響することが多々あるからです。これは書道の分野だけに限らず、美術など他の芸術分野にも言える問題かもしれません。


ここで話を切り替えて、もし書道の二刀流があるとしたらどういうものが有りうるか?

私の二刀流

いろいろな書のジャンルの組み合わせはあるでしょうが、私が若い時から目指してきたことの一つは漢字書と篆刻の二刀流であります。

漢字書

一口に漢字といっても、篆書、隷書、楷書、行書、草書のすべての書の古典に精通していきたいと思って40年以上取り組んできました。

佐藤容齋臨半切「李嶠詩の臨書」
令和三年 書宗院展出品作品 半切「李嶠詩の臨書」

篆刻

篆刻については、これまで篆刻の大きな会派に属せず個人の篆刻家として学習し活動もしてきました。これも40年以上になります。その一番の理由は一会派の刻風に固まりたくなかったからです。たとえ篆刻家としての知名度は高くならなくても、自由な刻風の制作が出来る方が大事だと考えてきました。

篆刻作品佐藤容齋刻「花竹秀」
平成28年 個展出品作品「花竹秀」2.4×2.4センチ 

立体書

広く認知されてはいませんが、20年以上前から陶芸や彫塑などの技法を用いて独自の立体書の世界を表現してきました。手間ひまのかかるものですが、中国3千年の書道の歴史にも無かった、書としては新しいものであります。インテリアとして狭い現代家屋にも飾りやすく意外と理にかなったものではないかと思っています。

佐藤容齋作立体書「鳳」
平成28年 個展出品作品「鳳」横32×高28×奥6センチ 

書学の重要性

書を学ぶことにおいて忘れてはならないことに書学があります。書道は文字を扱い3千年の長い歴史の中で発展してきたわけで、書を学び表現をしていく上では当然、歴史や漢字の研究(仮名を含む)、文学や思想などについても深く学んでいかなくてはなりません。ましてや古典を学んでいく私たちは膨大な量と質の高い書学を研究していくのだという強い覚悟が必要です。

私も書の研究に素直な目で真剣に取り組んでいった先に、たくさんの新しい発見が得られた経験があります。

書道は総合芸術

 
書道はあまりに奥が深く幅が広い世界のため、一つの事だけをやっていればそれでよいというような単純なものではないと私は考えます。上記のほかにも書道教育もたいへん重要な分野として加えなければならず、二刀流どころでは済まされません。
書道はあらゆることを含み、それを学び表現をしていく総合芸術なのだというのが私の一貫して大事にしてきた価値観です。私のような考え方で書道をしている人は極めて少ないでしょうが、これからも自分の信ずる道を進んでいきたいと思っています。